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東大解体闘争後40年

東大解体闘争、或いは安田講堂攻防戦と呼ばれた学生の反政府活動が終焉して40年の時間が経ってしまった。あの事件のとき、私達は大学4年生であった。北海道から九州まで、全国の大学で紛争が起こっていた。今、振り返ってみても、当時の私達世代の人間が、何故、反政府的行動を取ったのか実は分からない。

漠然としたこの国の仕組みに対する反感はあった。自由と民主主義という原理から著しく乖離した権威主義や官僚主義の匂いも、年功序列とか、学閥系列化などの腐敗臭も感じていた。しかし、入学試験点数による大学や人間の序列化は、自分達がその中の上位に置かれていたという意識ゆえに、肯定的に容認していたように思う。

特に東大では、試験成績が人生の全てを決める要素であり、成績トップのものから順に能力的にも仕分けされるという原理を、公平な基準であると信じて疑わなかった。成績優良者は、能力以外に、それだけの努力もしたという意味において、この人間の類別化、差別化には正当性があると考えてきたからである。

そして、権力擁護の右派であれ、反権力の左派の人間であれ、学問の場であるが故に、その公平な尺度で指導的な人間の養成が行われるかぎり、国家有為の人材供給組織としての大学のシステム自体を否定する立場ではあり得なかったのだ。大学のシステムの中で落伍する人間は、怠け者か無能力者か、或いは過激な反体制の人間か、という類型化がそれほどの抵抗もなく受け入れられていた。

この意味において、東大解体論或いは東大闘争と呼ばれる学生の反政府運動には、最初から学生自身の中にその闘争の意味や意義を持っていなかったといわなければならない。だから、反米、反自由主義という政治イデオロギーの影響の下にこの学生運動はおとしめられ、政治的権力闘争の道具として利用された。

そして左翼政治のプロパガンダの道具として利用されるほど矮小な行動であったから故に、この国の政治システムや国家の理念を改革する闘争としての意義を最初から喪失し、結局は大いなる喜劇か、悲劇か、或いは児戯に等しい左翼革命ごっこの大失敗の政治行動で終焉したのである。

東大解体闘争の理念に欠けていたものは何か。それこそが東大は、かつての東京帝大から今日まで独善的官僚を輩出し続け、その独善的官僚主義を支える学問的根拠となってきたという理解である。

すなわち政治的或いは国家有為の人間を、まさに中国歴代の科挙的選抜法によって選別する恐ろしいほどの権威主義の根拠であり続け、一度は亡国を導いた悪弊としての存在であったという認識の欠落であろう。

そして東大の権威主義が国家有為の人材発掘と養成の場ではなく、東大はむしろ国家有為の人間の選抜や登用を阻む虚構の学問の門として存在し続けてきたという歴史的分析の欠如であったといえる。

連帯サイト:日本の政治を糾弾するhttp://www.kyudan.com/index.htm にも公開させて頂いています。

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