中央集権制から地方分権の国民主権の政治へ
明治の国家近代化は高等教育とは無縁の国家有為の日本人によって支えられたが、官僚中央集権制に壟断されて以来、この国は世界に誇れる日本の国民が一握りの行政官にひざまずく政治を強いられてきた。官僚政治によってこの国は発展してきたのではなく、官僚政治の下で苦しめられながら、西欧列強に伍して発展してきた。
しかし、官僚政治は20世紀に入るや、亡国の道筋を一直線に先導する愚劣な政治の主催者であった。いわく、シベリヤ出兵、平価金本位制、金融恐慌、米騒動、言論弾圧、ファシズム化、軍部独走の容認、そして満州進出から亡国の太平洋戦争への歴史であった。
戦後、この国は奇跡的に経済復興とともに国家復興が達成されたが、この国家の復活は敗戦後にも生き残った官僚政治によるものではない。それは自由と民主主義を与えられた多くの日本人民草の力による。そしてこの国が絶頂を迎えたとき、すなわち1980年代、最も国家の政治が重要なときに、戦後に生きながらえた中央集権制の官僚政治は、再び亡国の国家指針を発動した。
この国を世界の経済超大国に押し上げた国民の力は、国民無視の誤った行政政策により、それから30年の時が経ちいま、バブル経済の崩壊、日本農業や製造業の衰退、そして国家の土台たる国民の安全保障、すなわち豊かな国家でありながらずさんな社会保障制度が露呈し、経済や産業、それのみならず医療や教育、法曹や言論に至るまで、破綻に瀕する事態が出現している。
皮肉なことに、或いは不運なことというべきか、この国家衰退は東大を頂点とする入学試験、すなわちそれは歴代中国王朝を破滅させた官僚登用の科挙試験と同類のものであるが、その試験至の高等教育を目指す国民の数が増加することに逆比例して、加速し、着実に二度目の亡国への道を歩んできたことに我々は注目しなければならない。
政治も教育も国民の土台から出発すべきものである。立身出世を餌に、高みを目指す席取り競争の教育を廃し、それに根ざす上位下達の政治を最早、拒絶しなければならない。これは虚構の知性であり、独善の政治の源となって来た悪辣なものであることは、この国の不幸な歴史の中ですれに証明されていることである。
日本国民の力によって生み出される国家財政は毎年230兆円を超える。しかし中央集権制の官僚政治はこの国民の富に寄生し、しかし国家予算の配分を壟断し、不正の限りを尽くしてきた。国民に優越する知性など存在しない。国家有為の人間はペーパー試験で選抜されうのではなく、むしろ国家に殉ずる心はペーパー試験不合格を志望するはずだ。国家の運営もそうである。選抜された官僚が、この大和の国を統治できる能力などあるはずはない。
国民の富たる国家予算は、地方に散在する国家有為の人材による差配にゆだねるべきである。官僚政治を撃つ究極の目標が、ここにある。
連帯サイト:日本の政治を糾弾するhttp://www.kyudan.com/index.htm にも公開させて頂いています。
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