自民党官僚政治の公共事業と地方支配
この国は中央政府の国と地方がそれぞれ分担して行政を行ってきたという信仰がある。小学校の社会科の教科書にはそう書かれているからである。しかしこの国には地方自治は勿論、中央政府と地方政府の共同経営という行政の姿など存在しなかったのである。
大は高速道路とかいま中止が決まったダム建設から、小は村の生活者道路や公民館、医療施設、トイレにいたるまで、補助金という金の支配によって、中央の官僚が支配してきたのである。
憲法で規定する地方自治という言葉はある。しかし本来、国民にすべからく施されるべき税金を国が支配することによって、この国の地方自治は中央省庁の被支配組織、分かりやすくいえば奴隷機関におとしめられてきた。これが科挙官僚支配のこの国の戦後民主主義政治の実態であった。
このからくりの仕組みは、戦前から続く『政治は金儲け』の考えに基づいて、政治が業界と癒着することにあったからである。
地方には、中央政府に抵抗する手段はあった。中央政府からの補助金を断ることである。しかしこれは極めて乏しい地方交付税と住民税で地方政府の市町村が市民の社会ニーズに応えなければならず、世界第二位の経済大国の日本の地方政府は、公園建設や保育園建設もままならない財政基盤しか持たされてこなかった。
霞ヶ関がぶら下げる、言わばおとりの餌に頼らざるを得なかったのだ。だが、いったん補助金を受け取れば、それはまさに奴隷になる契約書を書かされることを意味した。無用の設備や単価の高い工事費、そして冗談ではなくトイレットペーパーの規格まで強制される『金儲け政治』の罠に落ちることを意味していた。
地方自治体の創意工夫や経営効率化への努力は、「地方は何も考えんでもよい、中央政府の頭の優れた官僚様が考える」という意識で木っ端微塵に粉砕された。地方官吏としての誇りを奪われ、ただ漫然と決められた予算を何の目的意識もなく、無気力に消化するだけの非生産的な地方行政の執行者、まさに政府の飼い犬に堕すことを強いられた。
そして気がつけば国に従って税金を垂れ流し、財政破綻寸前の状態になってはみたものの、生産性を挙げるべき社会インフラがいたるところで無用の長物化していたのである。
これが日本の現実である。地方産業、農業や漁業の後継者育成も出来ず、保育園や医療・介護施設などの社会インフラも、バカ高い民間の施設はあっても、全ての国民が安心して医療や子育てをするための施設など、どこにも満足には存在していない。あるのは常に『アキがない』という、行政の怠慢を象徴する施設であり、それは業者に甘く、国民に冷たいこの国のこれまでの政治の形を如実に示しているものであった。
日本の公共事業は産業振興にも、経済基盤の拡大にも、まして国民生活の改善にも役に立たないことは明らかである。政府支出によってGDPが増加する、景気が改善するは全くの詭弁であり、嘘である。公共事業の財政出動をしてみたものの、この国の公共事業は、有能ではない中央官僚の杜撰な業界ニーズに沿った計画で行われることが常であったから、新たな産業も、次世代の経済基盤の拡大強化も、中小企業支援にも、まして雇用拡大にもならなかった。
経済対策、財政再建の名目で支出されてきた国家の負債700兆円は、まさにそのことを示している。しかも、いつの間にか官僚自民党政府は国民の負債と称して緊縮予算、増税を主張してきた。彼らが立案した景気浮揚、経済底上げという大儀名分に騙されて、これほどの財政赤字の負担をしても、今日の慢性的とも言える不況は解消されず、ますますこの国の経済基盤が弱体化している現実を目の前にしている。
この現実を我々日本の国民は直視しなければならない。そして官僚自民党政治は二度と復活させてはならないのである。
彼らは自由主義者でも民主主義者でもなく、官僚統制の腐敗の国家社会主義者であることを決して忘れてはならない。そして、この国の教育を基盤に形成された『産官学』癒着の利権構造の打倒を肝に銘じた者以外は、新しい民主党政権の中枢から駆逐すべきである。
元官僚の民主党議員は、まず最初にこのことを国民の前に誓約し、政策実行としての地方主権政治を進めることでそれを証明しなければならない。
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