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2009年5月31日 - 2009年6月6日

学閥に壟断された国

教育が国家100年の大計と言うならば、この国の教育は100年もの間、不正義の国家大計を担ってきたというべきであろう。何故ならば、この国の教育は西欧の模倣から始められたとしても、それは西欧の方式を利用して人間の序列を定めるための道具として使われてきたからである。

教育が国家100年の大計というのは、人間世界は人間が作る文明文化や自然科学の進歩によって発展することを前提とする言葉であるからである。そしてそれは常に新しい人間の力を産み出すためにこの世界の有り様を新しい世代へ伝え、混沌世界の中に新しい秩序という文明の光を灯し続けることを意味する。

それ故に、教育は人間の育成をはかることと共に国家のみならず、この地球という人間世界の発展と繁栄を期待して試みられるものである。時代は常に流れ、一段一段づつの階段を昇るように、人間世界を人間の知恵が理想とする世界を目指して、絶えず歩むための営みとしてである。

教育が世俗の特権や排他的な利益追求の道具と堕したとき、おそらく人間社会は破綻し、崩壊の道を歩むに相違ない。この国の教育を振り返れば、教育機関を設立した当時の素晴らしく崇高な理想すら、創立者の存命にもかかわらず脆くも崩れ去っていたことを我々は知ることが出来る。それは何故か、教育が国家権力の官僚支配に従属したからに他ならない。

公平に見るためにウイキペディアの文言を引用しよう。

三田閥 慶應義塾大学出身者の学閥。金融界など財界(大企業経営者)。

稲門閥 早稲田大学出身者の学閥。出版業界,マスコミ業界・政界、法曹界

白門閥 中央大学出身者の学閥。地方公務員・法曹界。

桜門閥 日本大学出身者の学閥。主に建築業界(中小企業経営者)、芸能界

赤門閥 東京大学出身者の学閥。高級官僚・学界・政界・財界一般

鉄門閥 東大医学部出身者の学閥。医療界

如水閥 一橋大学出身者の学閥。主に金融界や財界一般

政財界 7大学閥 1 慶應義塾大学 2 東京大学 3 早稲田大学 4 京都大学 5 中央大学 6 明治大学 7 日本大学

この分類は、この国の閉塞感を言い表している。それは人格識見が高邁な人間を排斥し、むしろ劣悪な人格の者たちが権力を握る中央集権制の下での後進的国家構造であったことだ。そしてそれはこの国の教育が人間の育成や学問追及という根源的な教育の目標を放棄し、学閥に列することが最重要の教育であり、権益確保の根拠とされたことを意味しているのである。

それ故、この国では国家権力の思惑による教育と研究しかなされてはこなかった。だから日本は世界に冠たる経済を持てる民族でありながら、西欧の模倣から脱出できず、政治的にも学問的にも世界に先駆けて日本の息吹を発信し、世界に伍してゆける国家足り得なかったのである。それは今でもそうであり続けている。

連帯サイト:日本の政治を糾弾するhttp://www.kyudan.com/index.htm にも公開させて頂いています。

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中央集権制から地方分権の国民主権の政治へ

明治の国家近代化は高等教育とは無縁の国家有為の日本人によって支えられたが、官僚中央集権制に壟断されて以来、この国は世界に誇れる日本の国民が一握りの行政官にひざまずく政治を強いられてきた。官僚政治によってこの国は発展してきたのではなく、官僚政治の下で苦しめられながら、西欧列強に伍して発展してきた。

しかし、官僚政治は20世紀に入るや、亡国の道筋を一直線に先導する愚劣な政治の主催者であった。いわく、シベリヤ出兵、平価金本位制、金融恐慌、米騒動、言論弾圧、ファシズム化、軍部独走の容認、そして満州進出から亡国の太平洋戦争への歴史であった。

戦後、この国は奇跡的に経済復興とともに国家復興が達成されたが、この国家の復活は敗戦後にも生き残った官僚政治によるものではない。それは自由と民主主義を与えられた多くの日本人民草の力による。そしてこの国が絶頂を迎えたとき、すなわち1980年代、最も国家の政治が重要なときに、戦後に生きながらえた中央集権制の官僚政治は、再び亡国の国家指針を発動した。

この国を世界の経済超大国に押し上げた国民の力は、国民無視の誤った行政政策により、それから30年の時が経ちいま、バブル経済の崩壊、日本農業や製造業の衰退、そして国家の土台たる国民の安全保障、すなわち豊かな国家でありながらずさんな社会保障制度が露呈し、経済や産業、それのみならず医療や教育、法曹や言論に至るまで、破綻に瀕する事態が出現している。

皮肉なことに、或いは不運なことというべきか、この国家衰退は東大を頂点とする入学試験、すなわちそれは歴代中国王朝を破滅させた官僚登用の科挙試験と同類のものであるが、その試験至の高等教育を目指す国民の数が増加することに逆比例して、加速し、着実に二度目の亡国への道を歩んできたことに我々は注目しなければならない。

政治も教育も国民の土台から出発すべきものである。立身出世を餌に、高みを目指す席取り競争の教育を廃し、それに根ざす上位下達の政治を最早、拒絶しなければならない。これは虚構の知性であり、独善の政治の源となって来た悪辣なものであることは、この国の不幸な歴史の中ですれに証明されていることである。

日本国民の力によって生み出される国家財政は毎年230兆円を超える。しかし中央集権制の官僚政治はこの国民の富に寄生し、しかし国家予算の配分を壟断し、不正の限りを尽くしてきた。国民に優越する知性など存在しない。国家有為の人間はペーパー試験で選抜されうのではなく、むしろ国家に殉ずる心はペーパー試験不合格を志望するはずだ。国家の運営もそうである。選抜された官僚が、この大和の国を統治できる能力などあるはずはない。

国民の富たる国家予算は、地方に散在する国家有為の人材による差配にゆだねるべきである。官僚政治を撃つ究極の目標が、ここにある。

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